特集 化学工学教育を考える
化学工学教育のこれまでとこれから 伊東 章

化学工学, 79巻, 1号, pp. 3-5 (2015)

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1. はじめに

化学工学は実学であるから化学工学教育も技術の発展,社会の要請に応じて変化してゆくのは当然である。しかし同時に化学工学の化学工学たる中核部分(identity)は常に変らず保つ必要もある。化学工学教育はこの変るもの,変らぬものを常に意識して見直されなくてはならない。

本誌「化学工学」でも継続的に化学工学教育のありかたに関する特集,小特集がなされている。さかのぼると,「カリキュラム」(69巻6号(2005)),「海外の化学工学教育」(67巻10号(2003)),「コンピュータで広がる化学工学」(64巻5号(2000)), 「明日のケミカルエンジニア育成」(61巻1号(1997)),「これからの化学工学教育」(55巻3号(1991)), 50巻13号(50周年記念増刊号)(1986)などの特集があり,その当時の現状報告や提言を見ることができる。(現在はこれらの特集内容を化学工学会電子図書館で直ぐ参照できる。)

また,直近の創立75周年特集号(2012)では「化学工学教育の動向と今後の展望」が特集され,アンケート調査をもとに化学工学科の変遷やカリキュラム例が紹介されている。この教育関係特集の総括として都留氏(広島大,化学工学会人材育成センター)が化学工学教育の動向と展望を寄稿1, 2)されている。都留氏は今後の化学工学教育における大学院教育と継続教育および資格制度の重要性を特に強調されている。今後の化学工学教育のあり方はこの都留氏のご意見に集約されると思われるのだが,本特集にあたり本稿では周辺の事項を含めて筆者が化学工学教育に思うところを述べてみたい。

2. 化学工学科の変遷

上記75周年記念誌では全国の大学・高専・および工業高校の化学工学科の現状についてアンケートをおこない,化学工学科の変遷を一覧表3)としている。その調査より推計した,化学工学を専門とする大学卒業生数の1950年〜2010年の推移を図1に再掲する。

 化学工学系の学科は1957年には6大学にしかなかった。1960年頃のいわゆる重厚長大産業(石油化学,鉄鋼,合成繊維)の発展を背景に,それらプロセス産業を担う化学技術者を養成するため,多くの大学に化学工学科が設立された。一時は「化学工学科」が全国に27を数えた。これにより化学工学を専門とする大学卒業生は増加し,1975年以降今日まで,毎年1500名規模で輩出されている。この化学工学を専門とする卒業性の規模は現在までほぼ同人数で維持されているものの,近年は化学工学科という名称そのものは学科の統合などで次々と消えている。とうとう最後となった東京工業大学の化学工学科も,大学全体の改組のなかで来年その名称が消え,遂に我が国の「化学工学科」は消滅する予定である。

 このような化学工学科の変化のため,専攻する学生の化学工学の修履修形態も大きく変わっている。従来の独立の化学工学系学科(1年生から所属)は化学工学専門科目をフルセット(およそ30科目)履修するが,化学工学コースでは2, 3年次から専門課程となるので,化学工学科目は20科目程度となる。私立大学で多い研究室型は,大くくりの応用化学系の学生が,4年生の卒業研究以降,化学工学系の教官の研究室に所属したことで化学工学専門とみなすものである。この場合は化学工学科目の履修は10科目以下となる。

図のように,以前は独立の化学工学科が普通であったが,現在はコース型および研究室型が過半となっている。独立の化学工学科では化学工学の専門科目を1年次から余裕をもって教育することができた。これに対して,現在は過半の大学で,化学工学専門科目を深く教える余裕がなくなっている現状である。特に研究室型では,化学工学専門課程の1/3程度しか化学工学関係科目を履修しておらず,おそらく自分の専門が化学工学であるとも明確には意識していない。化学工学を専攻した学生といっても現在は過半はこのような中途半端ともいえる化学工学科目の履修状態である。

3. 化学工学専門カリキュラムの変遷

具体的に化学工学教育の内容をなす専門科目群の変遷をみてみる。(図2)なお化学工学は「輸入」されたものであるから,当初からその教育科目や教育内容は世界共通である。(昨今の言葉を使えばはじめから「グローバル」である。)

図2の左段が元会長斉藤正三郎氏による化学工学標準講義(1984)4)である。この講義項目が化学工学のオリジナルな構成と言える。流体,熱,単位操作,反応工学,プロセス設計・制御などは化学工学の中核科目である。一方,機器材料や工場設計もあり,全体としてはまさに「化学機械」といえる構成である。

その後の化学工学科の拡大期に,当時の化学工学協会が50周年記念号(1986)に「化学工学の将来展望」と題する提案書を掲載している5)。そこで提言されている化学工学のカリキュラム大系が図2の中列の項目である。この頃は移動現象論が化学工学の基礎として位置づけられており,流体・伝熱工学には移動現象論が含まれる。これに分離工学,反応工学,プロセスシステム工学が大系の中核である。古典的なカリキュラム(左列)と比較すると,この段階で装置材料,高圧真空技術や工場設計などいわば「現場」の技術が外れ,それに代わり物性値や粉体工学が入っている。これにより工学部伝統の「製図」が役割を終える。設計製図がなくなるのは大学教官に実務経験が不足で,教育できないという要因も影響している。(CADを導入するという方向性も考えられたが,結局製図科目そのものが消滅した。)

現在の化学工学カリキュラムはどの大学の化学工学課程もこの大系を基礎にしていると考えられる。これに加える分野として環境工学,生物化学工学,原子力化学工学,安全工学,エネルギー,化工数学,高分子工学などその学科の得意な科目を加えることで,特色を出す。そのためこの提言以来30年近くを経た今日では,中核科目以外の科目設定は大学により多様になっているのが現状である。言い換えれば,化学工学専門科目として全体になにが必須なのかについて統一されていない状況とも言える。

そこで本特集でも別稿で特に取り上げているCEP誌(AIChE) (April, (2014))掲載の最新の提言6)をみる。(図2の左列)これは企業側(Dow Chemical)での調査で示された「企業側から求める化学工学6分野」として提言されたものである。やはり,移動現象論を含む単位操作,反応工学,プロセスの解析とモデリングの3分野が従来どおり化学工学の中核と考えられている。加えて材料,バイオ,ナノテクの3分野が必要な分野として加わっている。米国では化学工学専攻の学生は技術者としてトップクラスの待遇を受けることで有名であるが,それに対する企業側の期待がこの6分野として明確に示されている。日本の今後の化学工学教育の構成を考える際にもここで提言された6分野が参考になるであろう。

ここで中核3分野以外で挙げられた3分野のうち,「バイオ」は生物化学工学として,多くの大学で開講されており,教科書も既に存在するので,日本の各大学のカリキュラムに取り入れることは問題がないであろう。

「材料」,「ナノテク」分野は化学工学会年会などの学会の研究発表ではかなりのセッションを占めている分野である。しかし教育となるとその教育内容の開発,集約が今後の課題となろう。化学工学技術者が身につけるべき材料とナノテクに関する基礎事項とはなにか,どう学ぶべきかを統一することは化学工学会として取り組む必要がある。関係の部会関係者の今後の努力に期待したい。

また,中核をなす単位操作,反応工学,プロセス解析の3分野についても,その教育内容・方法に改善の必要性が差し迫っていると筆者は考えている。その背景は最近のパソコン上の化学プロセスシミュレータにおける高度化と使いやすさの進歩にある。これは10年以前はプロセスの物質収支計算も逐次代入のような初歩的で収束性も悪いものであった。それが今日では最新の物性値計算法を取り込んだ上でプロセスの熱・物質収支計算が確実に収束するよう大きく進歩している。さらに特別な機能ではあるが,モデル的には偏微分方程式解法の問題となる,固定層吸着の破過曲線の計算まで可能となっている。

 このような化学プロセスシミュレータの進歩はユーザーにとっては便利であり,有用なのだが,一方で誰でも中身を知らずに使えるということは化学工学技術者の専門性の危機でもある。この道具がブラックボックス的に進歩しているのに任せるのではなく,使う者がそれに追いつくための教育が必要である。それは最新の物性値推算法の教育と,プロセス計算の計算力を大幅に向上させる教育である。

 図3 化学工学教育への情報機器活用(Excel演習) しかし,一方で前節のように化学工学専門の科目数は縮小しているので,教育内容の精選もおこなう必要がある。例えば蒸留操作における塔径の計算など装置設計の細部にわたる項目は省略し,モデル化に焦点を絞る。その上でモデルの解法は計算機に任せる。このような方針で化学工学教育を精選することができるのではないか。 以上のような教育の高度化と内容の精選の相反する要求に応えるものとして,筆者はパソコン支援それもExcel表計算の使用を前提とした教育に取り組んでいる。これについては筆者による本誌の連載を参照していただきたい。

4. 化学工学教育の継続的議論の場

長年にわたり化学工学教育の定期的な情報交換の場,議論の場として大きな役割を果たしてきたのが「全国大学工業化学・化学工学合同研究集会」である。毎年全国の国立大学持ち回りで開催され,全国の応用化学,高分子,化学工学系の学科から100名規模の参加者があった。化学工学系の教官にも参加経験のある方が多いと思う。

この合同研究集会は1963年より文部省大学学術局が主催で開催されてきた。藤田先生7)によると,もともとこの集会は工業化学系の専門教育に化学工学の講義や実験をどのように取り入れるかの情報交換に目的があったとのことである。その後は化学工学専門課程でのカリキュラムの標準化,新設の化学工学科のカリキュラム作成に大いに貢献した集会であった。

集会では化学教育,化学工学教育への提言に関する企業側を含む多数の講演がなされる。各回の報告書(講演記録集)も大部のものであり,貴重な資料である。化学工学誌には1996年(34回)までは毎回その報告が掲載されてきた。

 しかし2005年に集会から化学工学の名称が外れ,文科省の主催もはずれ,開催の意義が失われてきた。そこで,本年の26年度集会(北見工業大学)で研究集会の終了が決議された。本集会はちょうど50年目でその役割を終えたところである。

この集会が終了したのを期に,これに代わり定期的に化学工学教育を議論する場の必要性がでてきた。年会などの場で化学工学教育を議論する恒常的なセッションを設置することをここで提言し,結びとする。

参考文献
1) 都留稔了:化学工学,13, 152 (2011),
2) 都留稔了:化学経済, 59, 32 (2012).
3) 伊東 章:化学工学,75, 156 (2011).
4) 斉藤正三郎:化学工学, 48, 771 (1984).
5) 竹内 雍:化学工学,13(50周年記念号), 64 (1986)
6) CEP, April, 4 (2014).
7) 藤田重文:化学教育, 13, 340 (1965).


 

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