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日本人の 外国文化学習法のDNA 輪講・輪読


大学生も 4年生となり,研究室配属されると,文系理系を問わず,各研究室で「論文輪講」という授業がおこなわれる。輪講ないし輪読とは専門に関する主に英語の教科書( これを「原書」という)や文献について「英文和訳」を順番におこなう学習スタイルである。その特徴は,
1.テキストの逐語和訳(訳読)を参加者が順番におこなう
2.英語の読み・発音は問題ではない(つけたし)
3.訳読者以外の参加者も原文を追いながら,内容を理解するよう努める
4.参加者が訳読者の和訳の間違い・疑問点をその都度指摘し合う
という点にある。

 

このような輪講スタイルによる学習法は以下のように幕末期の蘭学において典型的であるが,それ以前の漢文の書物(漢籍)でも同じようなやり方をしていたようである。

司馬遼太郎「花神」より

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適塾(蘭学塾)では) 輪講というのが,教える制度の中心になっている。〜 学級ごとに輪講をする。その輪講は月に六回ある。

輪講とは要するに塾生自身が蘭書の講義をすることで,トップにそれをやる者をくじできめる。首席者という。それが蘭書の一くだりを和訳すると,つぎの順番の者に質問をし,それに答えられなければ「敗者」になって黒点がつく。うまく答えられた者は「勝者」で,白点である。それらの審判をくだす者が,塾頭もしくは塾頭次席の「塾監」である。そのようにして一ヵ月たつと,一ヵ月間の点数をしらべ,白点の多い者に良い場所の畳をあたえ,わるい者はその逆になる。一般に三ヵ月つづいて白の勝ち越しをした者には上級の学級に昇格させる。
その輪講の前夜になると,全塾生がほとんど徹夜で勉強した。

(適塾の塾頭を務めた後,兵書の翻訳を長年続けていた村田蔵六は長州藩の軍の司令官を任される)
蔵六が上座にいてながい沈黙をつづけたあと,突如口をひらいた。あいさつではない。講義がはじまっていたのである。 長州士官学校ともいうべきこの学校にはついに開校式も入校式もなかった。

勝つための教育である。しかもいざ開戦のときには蔵六は司令官になり,いま速成教育するこの塾生たちを士官にして戦場にひきつれてゆくのである。 長州軍はまったくの「翻訳軍隊」であるといえる。それも軍事には素人の蔵六の我流の翻訳によるもので,いわば蔵六の想像力でつくりあげられた軍隊である。
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適塾を訪ねて

「花神」は 軍事技術者・大村益次郎(村田蔵六)の生涯を幕末の歴史とともに描いたものである。大村益次郎は実物を見ることもなく外国人に直接教わることもないまま,「原書」を論理と想像力で理解し ,軍隊装備・組織をつくり,官軍の戦争を指揮し,それで旧制度を倒して近代日本の成立に貢献した。 原書を上手に訳せる輪講の秀才が,実際にモノを作ることができ,社会を動かすことができることを証明したのである。 大村益次郎,福沢諭吉をはじめ 輪講スタイルで育った秀才の手で近代日本ができたのであるから,輪講が日本の大学で重要視されるのも当然である。輪講はいわば日本人の外国文化・技術学習スタイルのDNAである。 (外国人講師にも頼らず,実物も不要で,原書1冊で多人数が学べるので,安あがりということもある。)

実は訳読・文法中心の中学・高校の「受験英語」とは,輪講で役立つ語学技術の習得を目的としておこなわれているのである。(だから当研究室の輪講でも「受験英語」を思い出せとよく言っている。) 輪講での訳読(原文を追いながら直接日本語にする)という形式は高度に知的な作業である。 文法に即して文章を解析し,かつあらゆる周辺知識を動員して文意に迫ろうとする「英文解釈」。この訳読法こそが日本人の脳を鍛えてきたのだとも言われているし,受験英語により語学に限らない「頭の強さ」が判定可能な訳である。
(参考文献:高島俊夫,お言葉ですが2 「週刊文春」の怪,p. 290, 「日本英語は漢文のお化け?」, 文春文庫(2001),)

しかし実際のところ,外国語の専門書を読んで,その字面のみから実物・実態を想像するというのはかなり難しい。そのようなことができるというのは,かなり特殊な才能であり,村田蔵六にはできたとしても一般人には所詮ムリなことかもしれない。 もはや 専門事項は日本語で十分学べるし,外国人とも接する機会も多いこの21世紀に,「輪講スタイル」は生き残ってゆけるのか? かといって,これ以外に外国語と専門事項を 両方マスターできる方法はあるのか? もう大学教育から入試まであらゆるところに根をはっている英文和訳および輪講であるが,それに代わ る英語および科学技術学習法・教授法を考えるべき時代かもしれない。

(とは思ってはいますが,これといった代案もないので,当研究室でも輪講スタイルは継続するでしょう。 せめては,
   テキストのプロジェクタ提示・画面書き込みによる訳読技術解説
   インターネット等での関連資料の随時紹介
   「英文読み上げソフト」を使ってのテキスト読み上げ
などにより輪講のプチ改革を試みています。)

2009.1.4


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