日常の化学工学 
煮物は冷めるときに味がしみるというのはなぜ
−伝熱と拡散のはなし−

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 化学工学,Vol. 73, No. 2, 98 (2009)

調理のコツとして「煮物は冷めるときに味がしみる」と言われていますが,前回の差分法による非定常伝熱解析を応用して,このことをモデル的に検討します。ダイコンの煮物の場合を考えましょう。 ここでは「味がしみる」とは煮汁中のアミノ酸分子が固体のダイコン内部に浸透(物質の拡散)することとします。

先ず「煮る」とはどういう操作かというと,温度を上げてダイコン全体の細胞壁・細胞膜を破壊し,煮汁中のアミノ酸分子の拡散・浸透を容易にする操作です。ダイコンの細胞壁はセルロースとペクチンで固められ, ナマではアミノ酸分子は内部に拡散・浸透できません。加熱することで細胞壁・細胞膜が破壊され,拡散係数が細胞液つまり水と同程度になります。この際,加熱に関係するダイコンの熱伝導度は最初から水と同じですが,一方の拡散係数は「煮る」ことでやっと味がしみることの出来る程度の大きさになります。

「煮る」過程を100℃のお湯に径2 cmの球状のダイコンを浸けたものとして計算します。前回使用した非定常伝熱計算のExcelシートを使用して差分法で計算をおこないます。(球座標用に差分式を少し変えました。)伝熱速度を支配するのは水で近似したダイコンの熱拡散率 α =1.4×10-7 m2/ sです。

計算結果を示します。5分で中心まで加熱されます。すなわち煮るという伝熱操作は,分のオーダーでおこなわれます。

次いで同じExcelシートでαをアミノ酸分子の拡散係数 DAB に置き換え,初期の水中のアミノ酸(味)の濃度を1.0, ダイコン内部の濃度を 0 として計算すると,アミノ酸分子のダイコン内部への拡散・浸透のシミュレーションになります。(濃度の単位は任意です。)ダイコン中のアミノ酸分子の拡散係数は ,煮た後なので水中と同じとして,20℃で DAB =1.0×10-9 m2/sと推算しま した。伝熱と拡散は基礎式が同じなので,同じ計算シートで係数を変えただけで計算できるのです。

計算結果を下に示します。アミノ酸分子がダイコンの中まで浸透するのに10時間かかります。なお,ここで 温度が 98℃とすると,拡散係数が3.5×10-9 m2/sと3倍大きいので,3時間に短縮されます。 (しかし「煮崩れ」ます。)

このように食物中に「味」(分子)を「しみこませる」(分子の拡散)には先ず煮る必要があり,その「煮る」(伝熱)のは分オーダー,その後の「味がしみる」(拡散)のは時間オーダーの現象です。 食物中の伝熱と拡散は係数のオーダーが2桁違う*)ので,煮るのは短時間ですが,そのあと味がしみるには時間単位で待たなくてはならないというのが「煮物は冷めるときに味がしみる」の説明となります。

*)「理科」的な説明としては,熱が伝わるのは分子の振動が伝わることだから,「波」のように速いが,物質の拡散は人混みの中をムリに進むように,実際に分子が他の分子中を動かなくてはならないので遅いのだ,といったところでしょうか。


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