日常の化学工学 
 ヘリウム風船はなぜ早くしぼむ−膜透過のはなし−

「化学工学資料のページ」に戻る
 


 化学工学,Vol. 73, No. 9,  443 (2009)

ヘリウム入り風船,二酸化炭素(炭酸ガス, CO2)入り風船,普通の空気(息)入り風船,そして空気入り風船を二酸化炭素入りのビニール袋に入れたもののしぼみ具合を比べてみました。CO2, ヘリウム入りは早くしぼみ,空気入りは非常にゆっくりしぼみます。また,二酸化炭素中の風船は直ぐ膨らみ,破裂してしまいました。   

この 「風船はなぜしぼむ」に対する普通の答は   「膨らました風船の中の気圧は外の1気圧より大きいため、中の気体は外へ出ようとします。その際に原子・分子の大きさの違いでしぼみやすさが変わってくる」 です。

風船の内部の圧力は確かに大気圧(101 kPa(絶対圧で考えます))より高く,仮に111 kPaとします。普通の答である「膨らました風船の中の気圧は外の1気圧より大きいため、中の気体は外へ出ようとします。」は111-101=10 kPaの圧力差が原因であるとしています。しかし・・・

    CO2,ヘリウム風船のしぼみ方は空気に比べて余りに早い。CO2,ヘリウムは空気に比べてそんなに分子の大きさが小さいのか?

    CO2中の空気入り風船は圧力と逆に膨らんで破裂するのはなぜ?

上の説明ではこれらの疑問に答えることはできません。

 

工学的みかたからこれを考えてみましょう。気体が高分子膜を透過する現象に対して工学的には :

    (ガス透過速度)
=(透過係数)×(その成分の膜を介した分圧差)/(膜厚み)

として取り扱います。ここで透過するガスの「分圧」という考え方が重要で,他の成分の存在や全圧(気圧)はガスの透過に関与しないと考えています。

上式の係数である「透過係数」がゴム膜におけるガスの通り易さを表します。ガスがゴム膜を通るのは「高分子の隙間」を通るのですから当然小さい分子の方が通り易いと想像できます。天然ゴムのガス透過係数を比較すると

    水素     1.4
    ヘリウム 1.0
    酸素     0.8
    窒素     0.3

となっています。(単位は[×10-14 kmol・m/(s・m2・kPa)])確かにヘリウムの透過係数は空気(窒素)より大きいのですが,3倍程度でしかありません。上の式からするとヘリウム入りゴム風船において,ヘリウムに関する分圧差は(111 kPa(風船内)−0 kPa(外側))ですので,

    (ヘリウム透過速度(風船→空気中))=1.0×111/(膜厚み) 。

一方,上の式からすると外側の空気は風船内部に透過するはずで,それは

    (空気(窒素として)の透過速度(空気中→風船))=0.3×101/(膜厚み)

です。すなわちヘリウム入り風船ではヘリウムが外に出る速度が空気が入る速度より3倍大きいので,早くしぼむのだ,と説明されるわけです。(もちろんこれは始めの状態で、時間がたつと風船内のヘリウムが空気で希釈され、分圧差はどんどん小さくなり、透過速度も小さくなります。)

それじゃ「空気」そのものを入れた風船は風船内外の分圧差がないからしぼまないのか?という疑問については,以上の理屈からはしぼまない,という答になります。が,そこでやっと風船の中の圧力が大気よりわずか大きいため

    (空気の透過速度(風船→外側))=0.3×(111-101)/(膜厚み)

という小さい速度で内部の空気が抜けて,徐々にしぼむのです。 そして空気入り風船とヘリウム入り風船を比べると,しぼむ早さは

    0.3×(111-101) 対 1.0×111-0.3×101 すなわち 1 対 27。

ヘリウム入り風船は空気入りの27倍の早さでしぼむということになります。 ガスの通り易さは3倍しか違わないのですが,分圧差が大きく違うため「ヘリウム入り風船は早くしぼむ」のです。(あくまで初めの早さ。)

 

さて,ガスが二酸化炭素CO2だとどうでしょう。面白いことに天然ゴムにおけるCO2の透過係数は

    CO2 5.1

とヘリウムよりも大きくなっています。この原因は「ガスの凝縮性の大きさ」によりCO2や炭化水素はゴムに溶け易く,そのため透過係数が大きくなる,と解釈されています。 では今度は風船に空気を入れ,外側を二酸化炭素とします。すると,

    (空気の透過速度(風船→外側))=0.3×111/(膜厚み)

    (CO2の透過速度(外側→風船))=5.1×101/(膜厚み)

となり,風船内へのガス透過の方が10倍以上大きくなります。空気との透過速度差がこれくらいあると,たとえ風船内部の圧力が上昇しても関係なく二酸化炭素は風船内に侵入します。そして風船は「破裂」するわけです。

 

以上のように風船がしぼむ早さ,すなわちゴム膜のガスの透過速度はガス成分の違い(透過係数)とともに膜厚み(距離)を介したその成分の分圧差が支配しています。(全圧すなわち風船内外の圧力差ではありません。)このガス透過速度を支配する分圧差のことを推進力driving forceと言います。ガス透過速度は膜の単位面積あたりそれに垂直に分子が通過する速度であり,これを流束(フラックス  flux)と言います。「流束係数推進力に比例し,距離に反比例する」が工学的みかた(モデル)です。

    風船はなぜしぼむ

    洗濯物は風があるとなぜ早く乾く

    金属はなぜ冷たい

など,日常のいろいろのことが流束係数推進力距離(厚さ)により理解されます。

流束 係数 推進力 距離
風船から抜けるガス 膜素材の透過係数 透過成分の分圧差 膜厚み
水の蒸発 空気中の拡散係数 水蒸気の分圧差 境膜厚み
木の乾燥 材料中の拡散係数 材料の含水率 材料内
砂糖が水に溶ける 水中の拡散係数 濃度差 境膜厚み
空気中への放熱 空気の熱伝導度 温度差 境膜厚み
固体中の伝熱 固体の熱伝導度 温度差 壁厚み

工業技術(ものづくり)のなかで生まれた化学工学の手法・取り扱いが,日常現象の理解にも有用であることを示しました。


(ののちゃんのDO科学)ゴム風船はなぜしぼむの?(朝日新聞 2014.9.20)


inserted by FC2 system