日常の化学工学 
こぼれた水は何時間で乾くか−境膜のはなし2−

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「水が乾く」という現象は日常のことです。水の蒸発についての理科的な説明は
「水面上には水蒸気の層があり,これが風で吹き飛ばされる。すると再度新しい水蒸気の層ができ,この繰り返しで水は蒸発する。」
というものです。しかしこれでは「机の上のこぼれた水は何時間で乾くか」という具体的な質問には答えられません。  

水の蒸発現象はいつも見ている身近なものですが,厳密に科学的にとらえるとかなり複雑な現象です。下図は実際の現象に近いコンピュータシミュレーションですが,水蒸気が水面から空気中に徐々に広がる様子が示されています。蒸発速度は上流から下流へ位置によっても違います。

このように水の蒸発現象は流れと拡散の複合現象で,さらに実際にはこれに蒸発にともなう蒸発潜熱消費により伝熱現象が関わります。空気の流れが速いと渦も影響します。つまり水の蒸発といえども科学的に厳密には流れ・拡散・熱移動が関わる複合現象として考えなくてはなりません。  現在ではこの複雑な蒸発現象のコンピュータシミュレーションも可能なのですが,目の前の水の蒸発時間の計算にわざわざスーパーコンピュータを持ち出すわけにもいきません。  

しかしエンジニアはとにかく「何時間で乾くか」に答えなくてはいけません。その際の方針は現象の本質を捉え,モデル化し,とにかく具体的に電卓で計算できるまでもってゆくことです。  

先ず蒸発現象を支配するものを拡散現象と考え,流れと伝熱は置いておきます。次に蒸発を@とAの2段階とします。@とは水面に接した空気中の水蒸気濃度・分圧であり,これはその温度の水の飽和水蒸気圧になっていると考えます。つまり液面で水と水蒸気が常に平衡にあるとします。飽和水蒸気圧については高校でも学習しています。具体的には p* = 3.17 kPa(25℃)であり,これをモル濃度 Cs= 1.28 mol/m3 に換算しておきます。また水面から離れた空気流れでは C=0.77 mol/m3です。(湿度60%RH)この濃度差(Cs-C)が蒸発現象の推進力(driving force)となります。  

Aの段階は空気中の水蒸気の拡散現象です。拡散現象には拡散法則があり,
「物質の拡散速度 NAは濃度差(Cs-C)に比例し,距離 δに反比例する。その比例定数が拡散係数 DABである」
というものです。式で書くと:

 となります。  

この法則をそのまま適用するため,水面に接した空気中に水蒸気の境膜というものを考えます。実際の水蒸気は水面から徐々に濃度が薄くなっているのですが,これを大胆に直線状の濃度分布とみなします。また,位置により水蒸気層の厚さも違うのですが,これも δで一定と考えてしまいます。この境膜の厚さ δが問題なのですが,例えば δ= 1 mmとしても,そう実際と遠くはないでしょう。(この境膜厚さが空気流れ,風速に依存するのです。)また比例定数の拡散係数は空気中の水蒸気の拡散では DAB= 2.88×10-5 m2/s とわかっています。  

以上で拡散法則の式中の各パラメータが具体化できましたので,計算すると,

となります。結果,1時間で約1 mmの液面低下,2 mm厚の水の層なら2時間で乾くと計算できました。  

以上のような考え方(モデル化)は現象をあまりに簡略化しすぎていると驚かれるかもしれません。しかしエンジニアはとにかく計算・設計しなくてはなりませんので,現象の本質をみきわめ,先ずは定式化(モデル化)しようとします。不十分なところはあとから補正すればよいのです。このような姿勢は一般に工学的なものなのですが,特に流体の関わる複雑な現象を取り扱う化学工学で強調されているところです。  

今回示した@での「平衡」および「推進力」と,Aで使った「(拡散の)速度」という考え方は,日常・生産現場から環境まで,化学工学が種々の現象を取り扱う際の基本となります。これらを真に身に付ければあなたも立派なエンジニア。自信をもって世の中の問題に立ち向かって,なんでも計算してあげてください。  

化学工学って簡単で役に立ちますね!


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